娘を育ててくれたのはドラえもんでした。

「あなたのドラえもんを、つくってください。」という、問いかけに応えて作られた作品には、アーティストの熱がこもっていました。目の前には、横幅約3メートル、縦1.5メートル程の巨大なキャンパスがあり、私を圧倒しています。その中央には、ドラえもんとのび太君が、どこでもドアを開け、こちらに笑顔を投げかけています。

さて、この日、六本木で開かれている『THEドラえもん展2017』へ、娘のぽんちゃん(仮名)を誘ったのは、実は私です。現在、高校の受験勉強中の彼女を映画に誘っても、あっさり断られてしまいます。まあ、受験勉強中の娘を遊びに誘うなという声も聞こえもあり、
まったくそのとおりで反論の余地もないのですが、ただ私には彼女を誘わずにいられない理由がありました。なぜなら、彼女を育ててくれたのはドラえもんだからです。

この話は、大分昔までさかのぼります。実は私と妻が出会ってから、まだ5年程しかたっていません。しかし、彼女とドラえもんの話は、それよりもずっとずっと昔。彼女が小学校に入学したばかりの頃まで遡るのです。だから、これは私が妻から聞いた物語です。

ぽんちゃんは、生まれたときから、大きな赤ちゃんでした。かなり大きかったので、お産も大変だったようです。胎児は生まれてくる時、産道を通ってきますが、通りやすくなるため、頭の形が変形するそうです。とにかく大きかった彼女は、産道がとてもきつかったようで、出てきたばかりの彼女の顔には、縦の赤い筋が何本も入っていたそうです。それはまるで、
赤いスイカのようだったといます。

生まれたときから、いつも大らかで、でんとした態度だったぽんちゃん。幼児なのにキーキー騒ぐこともなく、その頃から大物の片鱗を覗かせていたようです。ママ友からは、幼児にして既に社長をいう呼び名を頂いていたそうです。

そんな彼女は、外見にたがわず生まれたときから、食いしん坊でした。搾乳機のように母親の左右の母乳を飲み干しても足りず、仕方なく粉ミルクも飲ませていた程です。そんなぽんちゃん、1歳半の頃の出来事です。当時住んでいたのは団地の5階。その頃には、1人で5階まで階段を上れるようになっていました。ただ、団地の公園で遊んでいると、家のトイレには間に合わないので、母親は彼女にパンツ型のオムツを履かせていました。ある時、彼女が公園で遊んでいるのを観たママ友が不思議に思いました。ぽんちゃんが両手でオムツを引き上げながら歩いていたからです。「なんだか、オムツ重そうじゃない?」と、ママ友が母親へ語りかけます。

そうなんです、大量に母乳を飲むということは、大量に出さなければなりません。おしっこを大量に吸収したオムツは、もはや器として限界状態にありました。最新式のゴムバンドでもその重みを支えきれなくなり、ただただズリ落ちてくるのでした。それでも、遊びたい彼女は、5階の家まで戻るのも嫌らしく、関取が自分の回しをつかんで歩くかのごとく、両手でオムツをつかみながら、遊びまわっていたのでした。

体の発育と比例するように、ぽんちゃんの頭の発達も比較的早かったようです。2歳になるころには1人で絵本を読み始めていました。母親が買ってきた絵本の中に、こんな動物が出てきました。そこに出てきたのは、丸くて大きい頭に、赤いさくらんぼのような鼻。その横に猫のようなヒゲ。そして水色のぬいぐるみのような体をした、へんてこな動物。これが彼女とドラえもんとの最初の出会いです。その後、ぽんちゃんにとって、ドラえもんは師のような存在となります。彼女は夢中になってドラえもんの絵本を読みました。彼女はドラえもんから人生を学び始めたのです。ドラえもんが宇宙について教えてくれる本を親が買ってくると、ドラえもんから科学を学びました。足し算引き算の本を買ってくると、ドラえもんから算数を学んでいきました。

ぽんちゃんが、5歳になった頃ある事件が起こります。ちょっとした用事があり、母親がぽんちゃんを家に残し、近所へ出かけたときのことです。すぐに外出から帰って来た母親は、家で一人留守番していた、ぽんちゃんの様子がおかしいことに気づきました。彼女は、ややぐったりとして、目はどこか虚ろな状態。そして、なにかを言おうとする彼女の言葉は、上手く出てきません。大変! 何が起こったのか? よく回りを見ると、床やテーブルに梅の種が散乱しています。

「まさか!」そう思って、冷蔵庫の中を確かめると、ビンの中に入っていた、梅酒の実が減っていました。なんと、お腹の空いた彼女は、大きな冷蔵庫の扉をこじ開け、美味しそうな何かの実が入ったビンを見つけてしまったのです。そして、その美味しそうな実が入った大きなビンをこじ開け、禁断の果実を口にしたのでした。母親が帰ってきた時、ぽんちゃんは梅酒の実を食べて、ろれつが回らなくなっていたのです。幸い、これは笑い話ですんでいます。

そんなぽんちゃんは、小学校へ上がるのをとても楽しみにしていました。なぜかというと、、学校へいくと漢字を習うことができるからです。母親はあえて漢字の読み方を、彼女に教えていませんでした。だから彼女は普段、漫画のドラえもんの漢字の部分を飛ばして読んでいたのです。「学校で漢字を習えば、ドラえもんを全部読める!」それが、彼女が学校へ行く大きなモチベーションでした。それから、算数を習うのも楽しみにしていました。先に小学校へあがった、ぽんちゃんの姉が、家で母親とかけ算九九の7の段の暗記をしていた時です。ぽんちゃんは、長女へこう言いました。「暗記しなくても大丈夫だよ、7とびだから」と。既に彼女は入学前に九九の意味を理解していたので、算数を教えてもらうのも楽しみにしていたのです。

「ぽんちゃんの体調が悪いようなので、迎えに来て頂けますか」。小学校の授業が始まった初日、学校から母親へ電話がかかってきました。身支度を整え学校へ急行する母親。彼女が保健室へ着くと、そこには顔面蒼白のぽんちゃんがいました。具合の悪そうな娘を連れて帰ってきた母親。なんとか、家にたどり着くと、それまでのことが嘘のように、ぽんちゃんは元気になったのでした。

翌日、何事もなかったかのように学校へ登校したぽんちゃん。しかし学校からまた「ぽんちゃんの体調が悪いようなので、迎えに来て頂けますか」と、連絡が入ったのです。母親が保健室へ迎えに行くと、そこには前日と同じように顔面蒼白で、ぐったりとした、ぽんちゃんの姿がありました。仮病ではないようです。そして、家までたどり着くと、彼女の具合は良くなります。母親が、ぽんちゃんに聞きました。「何かあったの?」。すると彼女の口からこんな言葉が出てきました。「あのね、お母さん。学校ではナスって言葉を3ページも書くんだよ……」。彼女の学校のノートをみると、「ナス」の文字が3ページ分書かれていました。ドラえもんを読めるようになりたいと思い、学校の勉強に期待をしていたぽんちゃんにとって、それは大きなショックと苦痛だったのです。

そして、登校しては具合が悪くなるという日々が、約1ヵ月ほど続いたある日のことです。ぽんちゃんが母親に言いました。「ぽんちゃん、もう学校へ行かない」と。小さな子どもなりに考えた結果、学校では彼女が期待しているものが得られないと判断したようです。「そっか、じゃあ学校へ行きたくなったらお母さんへ教えてね。お母さんから学校へ行きなさいとは言わないから」。そう母親は直ぐに応えました。ここから、ぽんちゃんと母親の長い長い自宅学習が始まります。世間一般から彼女たちを見れば、「不登校の子供とその親」と、ひとくりにされてしまうことでしょう。でも、この親子にしてみれば、学校が合わなければ、自分たちで学ぶ。それだけのことなのです。後ろめたさも、劣等感も、微塵もありません。
ただ、当時シングルマザーでありながら、幼い子どもと一緒にいる時間を優先するというのは、個人事業主であったとしても大変なこと。そんな大きな決断を、一瞬でしてしまう、この妻の器には脱帽です。彼女にとっては、子どものことが何をおいても一番大事なことなのです。

ぽんちゃんが、特に興味を持ったのは、天体や天気のことでした。母親は彼女が読めそうな本を買ってきて、二人で学びました。ぽんちゃんは、本で読んだことを体で体験するように、よくベランダへ出て、ずっと雲を眺めていました。風の向き、気温、髪の毛に感じる湿気。知らず知らずのうちに、彼女は天気を予測できるようになってしまいました。

それから、彼女は工作もよくやりました。自宅の近くにあるホームセンターのジョイフルホンダでは、使い端の木材を安く売っていたので、母親はそれを大量に買ってききました。それらの木材を使い、ぽんちゃんが工作を始めます。金槌やのこぎりなどを上手に使いながら、好きなように毎日製作作業をするのでした。ある日、仕事から帰った母親は、完成した模型を見て目を丸く見開きました。なんと、実物大の扇風機の模型が完成していたのです。母親がその扇風機のプロペラに触れると、ハラハラハラとプロペラが回りました。しかし、その木製の扇風機は、多くの人の目に触れる前に、ぽんちゃん自身の手によって解体されてしましました。なぜなら、次の製作物の材料にするためです。彼女にとって他人からの作品の評価は、どうでもいいことのようで、材料が足りないことの方が問題なのでした。

二人三脚でスタートした、母親とぽんちゃんの自宅学習。二人は、よくプラネタリウムへいって、星を眺めました。それから近状の公園へ出かけたり、川原や池、沼などへも遊びに行きました。こうしてぽんちゃんは、学校ではあまり学ぶことのない、体験を母親と二人で重ねていったのです。そして、あっという間に2年間が過ぎさりました。そんな、ぽんちゃんの傍らには、いつもドラえもんのコミックがありました。新聞と一緒にトイレに入り、なかなか出てこない私の親父のように、ぽんちゃんはトイレでもよくドラえもんを読んでいました。さすがは、2歳にして「社長」のあだ名をつけられた器だけあります。

同級生が小学3年生の梅雨を向かえ、長靴で水たまりを闊歩し始めた頃、ぽんちゃんが言いました。「ぽんちゃん、明日から学校へいく」と。梅雨になればアジサイが咲くように、物事には時期というものがあります。彼女にとっては、小学校へ行くタイミングが、その時期だったのでしょう。もしかしたら、4月になったらみんないっせいに小学校へ通い始めることの方に、不自然さが在るのかもしれません。成長の過程は、子どもそれぞれですから。そういう意味では、ぽんちゃんは、その日から何事もなかったかのように。いや、むしろ乾いたスポンジのように、学校でのことをどんどん吸収していきました。また友人関係も良好のようです。「社長」の器にふさわしく、毎朝男の子たちが家に迎えに来て、学校の開門と同時に校庭で遊びまわっていたようです。

つい先日12月29日のこと。IT企業で営業を努める私は、会社の仕事納めの日に、ある大手企業から受注を頂きました。そして、かなりいい営業成績で仕事が終われたことを家族に話しました。すると、ぽんちゃんがこんなことを私に聞いてきます。「ねえねえ、いつ部長になるの?」と。なんの他意もない素朴な質問です。まいったなぁ。なんて答えよう。営業成績がいいので彼女はそう思ったのでしょう。私は答えました。「営業の成績がいいからって、部長になれるわけではないんだ。人間には器ってもんがあるからね。人を率いていくにはそれなりの器が必要なんだ。でも、ぽんちゃんなら間違いなく社長になれるよ」と。

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